行動生理学

理系とはなにか。京都堀川高校の論文提出形式か、実験装置をも自らで作れてしまうことか、からくりを解き明かす熱意と方法論か、否、私は「観察者の視点」であるとおもう。文系の人間が情緒的で理系の人間が理知的であるようなステロタイプを好んで用いる人がいるが、東大文1の人間が非常に理知的で、官僚は合理的に不正を構築することは自明だ。
ラサール高校の天才といわれたY先輩は高校3年の夏に東大理3コースから文1コースにかえて、現役合格してしまったらしい。彼の心根は見えないが、長じて検事となった先輩の思いは、もしかしたら自らの主義主張を形、社会を形成する”物理法則”としての法体系で示すことができる、その可能性にかけたことなのではないか。

私は自らの思いを端から信頼していない。自分の能力や人格をはなはだ不確かなものだと思っている。えらそうに他に意見した後、自らを省みると矛盾をはらんでいることに幼い時から何度も直面したからだと思う。高校時代に慣性系を学び、当初座りのよい回答だと思えた内容が、一つ一つの事象を積み上げることで思いもよらない無二の結論が出る、その自明性に生きる希望をみた気がしたものだ。

30台も後半ともなると科学の矛盾や限界をみてきて、かつてのような愛情を理系なるものにもてないでいるのだが、しかし時々、そんな牧歌的な昔を実感させるような本に出会うと少し感傷的になってしまうのだ。

「生物と無生物のあいだ」

自分が忘れた理系なるものへの邂逅の瞬間を、まざまざとこの不細工な男が再現してくれた。叙情的過ぎる表現に生臭さはあるものの、理系なるものが包含する浪漫主義をこの人は体現している。

私は美辞麗句より、一つ一つの事象が精緻に積み上げられ、思いもよらない真実が導き出されるその過程が本当に美しいと思う。この過程を見守る立場が「観察者」の立ち位置であり、それこそが「理系なるもの」の真髄であるとおもうのだ。

そして私はまた、mixiの使い方を間違えていると自覚している。

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