近代史とNHK

私はNHKにお金を払っていない。きっと払わなくていい匂いがするからだ。それは学生時代に国民保険を払わなくていいと感じた時と同じだ。

しかし、地上波はNHKがすきだ。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090628.html

再受験をせねばならぬと決まった時、共通テストの社会枠は世界史にすると決めていた。理由は漠然としたものだ。
古代史が比較的すきだったし、経時変化と地理的特異性がマトリックスで示される、年表作成が情報の整理になる気がしたのだった。18世紀までは滞りなくすすんだが、20世紀までくると重い、ノスタルジーでは越せない情報量の壁が現れた。
それまでのおとぎ話から、20世紀は大人の政治事情が厳然と存在したからだった。理系の妄想家には荷がおもかったのかもしれない。

40前に、近代日本史は顧みるべき必須項目のような気がする。風呂に入りながら司馬遼太郎、街道を行くなどを読む、彼は20世紀初頭の軍部暴走を強く否定する。その姿勢が正しいのか、誤っているのかを判定する情報が私にはない。

だから、この番組は地デジでとって、今だらだら見ている。

なにか後ろめたい気分になるのは、戦後民主主義に私も毒されているからだ。けれど、時代が地上波にこの番組をゆるすのだから、私の引け目も中和される。

日露戦争ですら8万の戦死者を出したという。戦争は無駄であることはいうまでもない。
なぜ、世界中が無駄な行為に終始する必要があったのか。20世紀前半の熱狂にすぎないのか、紛争レベルでは常時行われている事を、原罪のように語るのは安易にすぎるか。。