バッチファイル

家電を使わずに計算機を使う理由は何だろう。




地デジをPCで見るのは、情報に、技術に対してなんとか能動的な立場を守りたいからだ。ワープロではなくてMSwordを使ったのは、(クラリスワークスだったか)、編集の自由度のたかい画像が挿入できたり、表組みがエクセルと連携したり、データベース管理の真似事ができたりしたから。デファクトだからその技術を学ぶという必要はあったが、単機能に特化した家電製品より、より応用性のたかい計算機の上でソフトウェアを走らせるのが、主体たるエンドユーザだという。。。

年賀状ソフトはファイルメーカでオリジナルを作った。プログラムまでは書かなかったが、それなりに関数は駆使し、我が家の必要な機能が盛り込めた。学生時代はファイルメーカのWeb Server化をみて、古いマックで動かしたり、法医学教室ともめたり、サーバーのハードの性能が低いと使いものにならないとわかったり。しかしsoralisまでにはいたらない。ちょっといじっただけだった。vine linuxもインストールまで、knoppixもデータレスキューに使う程度。

光ファイバー下でのサーバー管理も、コスパ的に(労力・時間というコスト)釣り合わず確信を得ずにいる。PC間の情報共有やストリーミングなど、主体となって動かしていたが、結局、仕事上は業者と話すときの共有知財のきっかけ程度にしかならない。

コマンド操作、プログラミングでいつも障壁がある。

徐々に利用者として主体性を失い、サプライヤーが作ったプラットフォームに乗っていかに効率よく使い切るかばかりを考えている。追われる立場。。

翻って、電子カルテが一般化したり、ウェブ端末がOSすら凌駕しようというときに、計算機を使うもう一つの視点が抜けていると気づく。

ソフトウェア間の連携である。

evernotefacebookに転用するだとか、androidの写真をgoogle+で共有するとき、ウェブベースのソフトウェア(アプリ)間の情報受け渡しが利便性を決定づける。

サプライヤー、ベンダーは自社製品、サービスの利便性向上には言及できるが、それぞれの製品をいかにユーザが組み合わせて便利に使い倒すかというのは、ニーズはあっても解決策はあまりない。

ソフトを組み合わせて新たな作業が能率よく行えるとしたら、それは新しいソフトになっているからだろうか。そこに商売が生まれる可能性があるから情報公開が進まないのか。そもそも計算機はそのような使い方(常にクリップボードが刷新されていくような)に弱いのか。

バッチモードでコマンドが順に実行されていくのは、もっとユーザインターフェイスが改善されないのだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB

手持ちのデジカメでHDの静止画と動画を撮る。USB接続したドックにカメラをさせば、PCのハードディスクに転送され、静止画はピクチャフォルダ、動画はビデオフォルダに。それぞれ転送がおわれば、早回しスライドショーで画像チェック、静止画はクラウド上のgoogle+に画素をおとしてアップ、動画も最適化しプライベート設定でyoutubeへアップ。

患者のCT画像を焼いたCD-Rをいれれば、画像の一覧が表示され、画像を選択すれば、レタッチソフトが立ち上がり決まったコマンドが動いて、PlosONeの投稿基準に従った画素数tiff保存し、パワーポイントの一枚スライドとして表示。その際のスライドのレイアウトもフォントも文字の大きさも発表に適したもの、同時に、翌年の科研費申請ワードファイルへシェーマとして落としこまれている。

こんなPCで有って欲しい。

一つ一つの指示は、私が出すが、一旦方針が決まって反復作業になるときに、ワンクリックあるいはひとつの動作で(キーボードを使おうがタッチパネルだろうがARだろうが)、のちの作業が自動化され、仕事が効率化する。これが計算機を使う一番の利点ではないのか。

決まりきったことを人間が反復し、仕事をしたような気になっているのは論点がずれている。

バッチファイルのGUI化が今後のPCの方向性のはずだ。
windows8の行く末がそのようなものであることを!