和歌山線



何年かぶりに和歌山線に乗る。2007年頃は通勤レベルで使っていた。なんとなく、少ないシートを威嚇しながら占拠する感じを思い出した。
しかしこんな2両編成で他県まで行くJRがあるんだろうか?まあ、あるか。

しがらみを考え、仕事のペースを崩されるのはげんなりするので、一人で生きることを思い出す。
社会から隔絶して、後ろ盾もない状態から、自分の力で今の仕事を勝ち取ってきたはずだ。人に頼らず、人を助けながら、自分の力でやれることをやりゃあいい。

雨が多く、もう、秋が来ているのだろう、夜は涼しくなった。

みすぼらしい格好をする、各駅停車のローカル線に乗る、あばら屋のような寺で勉強をする、廃墟のような官舎に住む。それでも、目線を高く上げていられるかどうかを、自分で確かめているのだろう。自分が価値を認める努力を、自分のペースで続けていられるか、出来が悪くても勉強することから逃げずにいるなら、何らかの尺度をクリアしていると考えてきた。面白いことがきっと先にあると、直感している時、うつむくことはないし、迎合することもない。努力を怠った時に他人に攻撃的になり、否定的になるのがいつものことだ。

5年前はPalmでグラフィティ入力、PHS(Air H')で64kB通信だったとおもう。それでも、ポータブルキーボードで結構移動中に原稿がかけた。ローカル線を楽しむことが出来ていた。emobileでウルトラブックを使ってSNSRSSフィードを引っ張らせていても、周りがスマホをいじり倒していても、自身の仕事に傾注できていれば、私の中の価値は同じだ。

急がずに、努力を続けねばならない。