晴れ、水平線

夕暮れを窓から撮って、祝福の地の幻影、名を知らぬ島。今日のような快晴に向こう岸の街から鈍い照り返しを見ると、海の向こうで戦争が起こっていると思う。ブラウン管の向こうの花火と、海面を渡る鳶、マンションのプールの嬌声と、照り返しの戦争はずれが同じだ。体が感知して大脳皮質で処理、理解する事象と、自身の生命を脅かす脅威にもかかわらず感知限界を超えた距離で起こる事象は、ずれる。経験知での警鐘と知覚が示唆する危機が同時期に入力されると、我々の脳は「ウソっぽい」と出力する。

平和という名の定常状態は、知覚閾値の上昇、反応速度の遅延を伴い、平常時の筋緊張が低下する。変化よりは安寧の持続を脳が望むのか、根拠無く危機を否定する思考が先行する。平和の海の向こうに戦争があることを、肉体で感知できなくても、せめて思考実験で経験すれば、閾値を低下、柴咲某の持つ野生動物の目を取り戻す。

めまぐるしく季節が変わり、環境や人の思いが変遷する。何を為すべきか。

小説を読んで映画をみて過ごしていければいいが、仙人であるまいに、実務も果たさねばならぬ。

海面を見ると、甲虫が飛んでもいいと思うし、子どもの机は家具職人に依頼して作ってもらってもいいと思うし、臭くなったリュックを洗濯機に入れるなら、結露で真菌を助長させた風に膨らむレースのカーテンを洗えばよかったか。ノートPCから取ったBDドライブは、デスクトップに移植すべきか、ICカードリーダも移植すべきか、海水を出して乾燥させたアクリル水槽は次なる乾燥もののために保管、稼働できる上部フィルターの余生をどうするか、安部公房の続きが早く読みたいが、先日の群集解析を見て、上司にプランを報告せねば、2週後のスイスで徒手空拳で望むことに。

卓上テレビと型落ち液晶モニタでリビングを運営し、書斎でデスクトップを動かせば良いはずだ。ソフトバックの無線地デジルータは大したことないので、出来れば、地デジチューナとして有線でモニタに繋ぎたいところだ。しかし、USBポートしかなく、これは外付けHDDへの録画用であろう。やれやれ。

 

散髪、くだらねえ。

 

今日はクローニングだけ、2時間で良い。あと、18Sのプライマーだ。

こいつで論文を仕上げてしまって11月につなげるのが面白いと思うのだが。

 

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