けだるい土曜の午後ということだな

能率よくこなすには、15分を単位とするといいと”脳科学者”モギちゃんがいう。一つの仕事に没入して集中力が途切れたら、他の仕事をする、ながらも否定しないが、書斎を離れないでいるのがコツか。
週末、精神的に余裕があるのはどの病院に勤めていても、開業でもしない限り今の時間帯、土曜の昼下がりが一番だ。

ここ2-3週間は論文を。統計解析と事象の俯瞰ができりゃいいが、一旦やりだすとあれこれやりたくなってくるしな。気づくとこの余裕のある時間帯が過ぎて、アルコール暴露が始まってしまう。そしてここ最近の繁忙で体の芯が重い。

そこで15分での切り替えってことか思うわけです。
テレビやネットは時間吸い取り虫だからうまくつきあわなならぬ。昔はよく、勉強部屋に行くのが嫌で好きなCDをいじったりする楽しみをきっかけになんとか机に座り、ノートを開く、気づくと勉強の方に没頭していて、CDは止まっているという手をよく使った。
数学や物理に躓くと、どうでもいい世界史とかに変えて、1時間ほどして元に戻るとまた、集中できるものだった。
一日何時間ぐらい勉強すればいいんですかと、家庭教師の生徒の親に聞かれた時も、自分が何時間勉強してきたかなんてわからなかった。すぐ寝る時もありゃ、徹夜もあった、ちゃんとした人は計画的に行くんだろうけど、これまでの人生で計画的に勉強したことなどないし、仕事も計画的にしてるふりして、してない、そのときそのときの判断しか信用してないんだなあ。

 早く、やれよ(こころの声)

情報にはどうでもいいものと、完成度の高いものがある。情報を蓄積しないと体系がつみあがらない。どうでもいい情報はすてて、完成度の高いものをきっちりと整然と蓄積する。それが脳内の具象化として、書斎を形成していくはず、なんかすっきりするしね。
ところがどうでもいい情報でもなんか役立つかもな、とか、スケベ心がゴミ箱行きの手をとめてしまう。H先生の論文の整理なんか見ると気持ちがいい、頭ん中もすっきりしてそうな気がするしな。しかし、あたしゃきれいに整理しないね。

具体的にやるべきことをあげて、比較的反射運動のような作業を始めてみる、情報の積み上げを行っているときに、ふと俯瞰ができるときがくる、そのときに手をとめて、互いのパーツの関係性に思いをはせる。そしてまた、比較的単純作業にもどる。

フリーターのときに数学の師匠に無目的がいかんと説教されたときがあった。
けっ!とか思ったが、まあ、わかりやすい具体的な目標があると重たくなった体でも動こうとするのかも知れん。

ふむ、これでちょうど15分だ。