韓国、むかしは朝鮮といったけど


焼肉屋に寄った。そこのおばあちゃんの一言。

日本は中曽根がいう、単一民族国家らしいが、けっしてminorityでない韓国、朝鮮籍の方々の存在は近年重要度が増している。語族という意味では確かに単一であることはもっと強調してよい。

昨日代行運転のドライバーと組織内でいかに生きていくかは、人間関係において感情的軋轢を放置しないことだ、と酔って結論づけたにもかかわらず、現実社会は国家レベルでもややこしい。

昼飯、冷麺が食いたくなった。近所のOsakan tasteな、いや、和歌山ですが、ホルモン焼き屋に入る。86歳の、オモニっていうのか、おばあちゃんが店番をしていた、今からでもいいというので、冷やかしに入った。

両側変形性膝関節症のおばあちゃんが、よたよた、ガスコンロと、ミノ、バラ、タン、ホルモンと食材を自家製?のタレにつけこんで、持ってくる。幸せな一時だ。ゆっくりした商売ッ気のない彼女の動きを見守りながら、ひとしきり食べ終え、話す。

昭和18年に結婚直後に箕島へ渡ったこと、空襲を避けるため、有田の山奥へ越した、配給を受けるため、いろいろな朝鮮人が集まった、今の若い奴は。。。的な話。

流暢なでも、濁音、半濁音が不自由なtalkを聞きつつ、ひ孫までいる彼女は日本人なのか、彼女の継代のいつから、日本人なのか、考える。小さな頃から隣国の国籍問題はついて回る土地柄、優秀な奴は山ほどみてきたし、どうしようもないのもいる。そしてそんなこた、国籍がどうとか関係ないことでもある。

僕にとって大事なことはその相手が面白いかどうかなのかもしれない。
肉が上手ければ朝鮮半島の人々の食生活に敬意を表す、それは、サハラ砂漠でくったトマトの煮込みも、チェンマイのジャングルでくったパンや、エジプトと、インドの、各地の食事でうまいのと同じ話だ。いや、同じじゃないったって、受容体は当方なので、同じなんだ。

そして、今日のホルモンはうまかった。個人的にはおばあちゃんがゆらゆらしか動けないのも、店が汚いのも、その割にしつらえた薄型テレビが50万以上する大きさであるのも含めて、一元的にうまいかどうかで判断した。惜しむらくは冷麺を置いてなかったこと。

中島らもは「いいんだよ」といった。

私はそこまで達観できないが、唯一食事に関してだけは正直になる、アメリカ人の組織体系づくりは100年ぐらいかかって隙をみつけないと、到底勝てないんだろうけど、あんな食生活しかしてない国民に何を言われたってなーてなところはある。

その点、韓国飯はうまい。

その一点でかの民族を認めている。
対立概念を考えていたら出会う。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20111227/1324919408
20代に考えたことが一番大事なような気がしてきた。

PLos pathogenに投稿するという話。だめなら、PLosへみたいな。高めで挑戦が原則。しょうがないなあーーー

正月に法隆寺で見かけた柱、梁の足あと、テンだとおもったが、ハクビシンという可能性もある。
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=231835