さてGW

5月3日の朝から5月6日まで4日間休みがある。体を動かさないとなー。

若槻千夏というひとはかわいこちゃんだぐらいのおっさん認識だったが、面白い、いい20代の過ごし方だ。商売を成功させなくてもいいから映画監督とかになってくれたらと思う。
http://yorimo.yomiuri.co.jp/person/blog/wakatsuki/2008/04/post_19.html#more

光プレミアムでディスカバリチャンネルをただで見たい。
ソニーが提供するbrancoかな。。
http://www.branco.tv/
セレクトだけど。

小学校の時日記をつけろといわれて、結局ぼかあ、人に言われることはやらないのだ、やらずに過ごしてきたのだが、思い返せば1990年ぐらいから後ろ向きな日記が手元に残っている。社会資本としては何の価値もない、少しばかりクォリティを保てたのは社会との接触を絶って、テレを捨てて自身とのみ向き合った2000年ごろかもしれない。それ以外の時期は他の媒体で自身の自己表現ができていたということか。ネットは共有の記憶媒体だから、人任せの管理ができる。so-netだろうが、mixiだろうが、ハイパーテキストを時系列で保存してくれれば、生の証といえば御大喪な、まあ、慰めにはなるというもの。

都合20年近くにわたって自分の文章がすぐさま読めるわけだ。私以外誰も興味のない文章だが、読み返すとここ10年ほどで私の大脳皮質が硬化していることに気付く。もう、これ以上生きる意味があるのかとさえ思うほどだ。途中下車はいかんと曽野綾子もいうので、この紀南の輝かしい陽光の浜辺でぼんやりと水平線をみやる。

仕事は30-40代が面白いという。権力闘争という言う意味では気力と体力、社会的地位がともにそろう時ということだろう。本当に私はそんなことに興味があるのだろうか?ちんけなプライドはある、しかし、それは一時的、感情的な側面が強く本質ってほどじゃない。私の心根は無精者で、めんどくせえという思いが強くある。人づきあいがどうとかもう、ほんとどうでもよくて、個人の深い洞察が新しい局面を打破したとき、その一瞬が美しい、そのためにだけdedicateできるような。

9月にロス出張がきまった。器用でもない私が時間と費用をかけていくことに意味があるのか。上司の温情にはこたえねばならぬが、彼の地が私に新たな刺激を与えてくれることを期待したい。

6年前の私の文章
02/06/18
壁男と壁紙
諸星大二郎は、壁男の出現にはテレビの影響があるという。主体である我と客体である彼が逆転するのが視聴という行為なのだ。視聴者という主体がいない部屋でテレビをつけっぱなしにすると、主体に成り代わったテレビが客体である”彼”をその部屋の壁に誕生させる。テレビの中で連続するコンテキストはその経済基盤により、また、存在のための希求により自らへの注視を求める。被注視の連続にはセンセーショナリズムが必要であり、テレビ局は注目されるための術を開発し続ける。
合コンで必要以上に道化を演じ、素早く自らの組みしやすい相手を探り出す下世話なサバイバルゲームと、ワールドカップの裏番組に”十戒”を流してサッカーに無関心な年代を取り込もうとする行いの、底流は同じである。流れ込むように細工された情報を一方的に受けることは主体からの離脱を意味する。
他方、自ら文章を構築すれば、嫌が上にも自身のメンタリティを凝視せねばならない。参考文献としてのリンクを用いるのは、遠回しにしか自らの薄い中身を直視せずにすむから、かもしれない。
精神病院の当直を1年以上続けている。一向にそのジャンルの理解が深まらない。日常の診察に役立てばとスケベ心で医局の本を物色しても、長続きしない物だ。体調のよい日でなければ、頭にもしみこんでこない。仕事から離れて自分の興味の目で眺めると面白い本があることに気づく。
講座・現代の哲学3「言語の内と外」
失語症の解釈などが並ぶ中、人工言語の考察という項があった。曰く、感覚器官に入力される自然の物理的情報は毎秒数億ビットらしい。100Mbpsだ。これは1976年にクーベという学者が唱えた説。FTTHの端末に座っているオペレータはどういう計算になっているのかは、気にかかるが、それでも全身の感覚器が1秒間に発生するEPSPが脳内で処理される頃にはフィルタリングがかかり毎秒10数ビット(10bps)にまで、ビットレートが落ちる。1千万分の1に情報を削り取る仕組みがプログラム言語で記述できる。
--ここまで--

自分で言うのもなんだが、そんなことを考えていたっけな~だ。あの本は結局K精神病院へ1年ほどして返したはず。くだらねえみりん干しの干物など食わされながら、搾取と権力の構図に吐き気がしていたころだ。

8年前の私
2000/11/28
位相幾何学
クラインの壺メビウスの輪の3次元モデルだったことが始めて解った(ホントに解ったのかとか言わない。)哲学や文系の人の議論は時間がかかる割に不毛だ。2時間もつき合って文章を読んで結論は科学的な定義の誤解であった。悲しい。めんどくさいと思うことに自分の労力や時間を割く理由は、そこに意義を(個人的な)認めるからだ。先人の知恵を理解・使用するときは面倒でも定義付けを読まねばならない。時間がない、結論だけ欲しいならば、其れを基にして人を非難しない事だ。自分への戒めにもなった。

『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰クラインの壺をめぐって(というか、めぐらないのだ)->リンクがあった。
http://cruel.org/other/asada.html

クラインの壺の理解は上の文章への反論によった。特に4次元モデルの説明にgifアニメを使ったところは抜群である。2次元での表と裏の対立の消失に3次元的なねじれが貢献し、3次元的な内と外の対立の消失に4次元的な「ねじれ」が貢献している。。解るようで解らない文章だが、クラインの壺が、メビウスの輪の作成時の発想の転換から生まれたと知ると理解が進む。メビウスの輪では、2次元のテープの端と端をねじって繋ぐ。このときに、この紙をテープと思わず長方形の紙だと考えた所がポイントだった。

寺山修司
寺山修司のファンだった。天井桟敷の舞台は見ることは出来なかったが、映画、書籍どっちもかっこいい人だと思う(時代がかった自己陶酔はあるが)。その死に様を始めて知った。

「知識人99人の死に方」、荒俣宏の94年の書籍。 ‐>これもリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA99%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E6%96%B9-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8D%92%E4%BF%A3-%E5%AE%8F/dp/404169034X

寺山修司は47才で逝去し(ほんとは”夭折し”が正しい)、直接死因は急性腹膜炎、原死因は慢性C型肝炎の発展した肝硬変だった。急性腹膜炎の増悪の契機は謎である。早稲田の学生時代にネフローゼ症候群にて4年の入院生活を送っている。年齢からしてIgA腎症だろうが、その際の輸血(点滴?)でC型肝炎ウイルスの感染を受けた。生きていれば65才、この年代の方は輸血後C型肝炎が多い。その後の研究でウイルスが同定され、採血時のウイルス除去を行った事から最近は事例が減ったそうだが、意義深い行為だなと思う。<-なにが意義深いんだ俺?

寺山修司は腹水がたまるようになって、谷川俊太郎のいとこの医師、庭瀬康二の許を訪ねる。彼の要求は予後7-8年にも関わらず「60才まで生かせてくれ」だった。死についての論文・小説・エッセイなどを多数書いた寺山は、その中で死を畏れない旨を記していたが、「寺山は本当は死を畏れていたはずだ、しかし、死以上に恐れていたのが、自分が病気のため何も出来ず、社会的に注目されなくなることだった。」と庭瀬は感じた。そして、積極的な治療を行わず、劇団の講演、執筆を続けさせ、受診後2年で寺山は死ぬことになる。死後庭瀬は非難を受けるが、11年の沈黙の後、「医者が患者の中に踏み込むなんて事は、やりたくったってできないんだ。ここまで僕を踏み込ませてくれた寺山が、僕を信頼し、お互いにいい関係だったってことがどうしてわからないんだろう」と言っている。
--ここまで--

右も左もわからない時期に書いたわけだが、庭瀬医師のいう、患者への踏み込みはやはり難しい。リアルな独白だと今も思う。

このくだらない、脳髄が生きる方向が定まればいいのに。